「新庄剛志のトライアウト挑戦」
は称賛に値するチャレンジだと思います。
トライアウト出場者で唯一のヒットを放ったにもかかわらず(元ヤクルトのジュリアスのスライダーをレフト前にはじき返したように新庄の持ち味である打撃の柔軟性は健在です。しかもタイムリーヒット。勝負強さは一級品。やっぱり持ってる人ですね!)
オファーはありませんでした。
【#トライアウト】
2020年12月7日タイムリーヒットを打ち飛び跳ねて喜ぶ #新庄剛志 。 pic.twitter.com/Qm1FAQAurn
— 東スポ写真部 (@tospophoto) December 7, 2020
3打席の打撃の機会がありましたが、全ての打席でブランクを感じさせない打席だっただけに、
彼なら
「辞めたの、や~~めた!!」
って来年も挑戦してほしいのです。
(2020.12.24追記)新庄新潟アルビよりオファー|インスタの終戦宣言削除し野球復帰?
「挑戦した自分に悔いはなし!」
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興味深かったのが、日本ハムファンの反応です。TwitterなどSNSを見てみると・・・
などなど、新庄剛志待望論!が巻き起こっていました。なかなかパンチの聞いたコメントが多かったようですね!
ここにインスタ画像貼ってましたが、新庄は削除したようです。ちなみに、「”後慣→後悔”」と字を間違えていた画像でした。
ちなみに、字を間違ってますけどね(”後慣→後悔”でしょ!)この辺が、新庄らしさですね(笑)
奇想天外・常識外、こんな選手は今後でで来ないかもしれません!
槇原の敬遠をひっぱたき、サヨナラ安打は奇想天外の極みですよね(今のルールでは、もうこのような場面は見ることはできないでしょう!)
今後も目は離せない人だと思います。ところで、新庄は年齢が48歳ということがネックになりだめだったと言われていますが、プロ野球選手を一度引退して、復帰した選手を調べてみたら、とある共通点を発見してしまいました!!
その共通点が、新庄が復帰できなかった理由ではないか?と、勘ぐりたくなるくらいの共通点です。
今回は、
「新庄トライアウトオファーされなかった理由!復帰のプロ野球選手は?」と題して調べてみました。
最後までお読みいただけるように、しっかりと調べています。
新庄トライアウトオファーゼロ 引退後復帰のプロ野球選手はいるのか?
正直なところ、引退後復帰のプロ野球選手は、いたとしても数名だと思っていました。冷静に考えてみればわかるのですが、高校野球で大活躍した選手でも、数年後には退団せざるを得ない厳しいプロ野球の世界。そんなに甘い世界ではないことは、言うまでもない事実です。
調べてみると、とある興味深い傾向が見えてきました。
生年月日 | ポジション | 主な在籍球団名 | プロ在籍年 | 復帰後の球団 | 在籍年 | |
島田源太郎 | 1939年8月25日 | 投手 | 大洋ホエールズ | 1958 – 1970 | 大洋ホエールズ | 1972 – 1973 |
杉下茂 | 1925年9月17日 | 投手 | 中日ドラゴンズ | 1949 – 1960 | 毎日大映オリオンズ | 1961 |
栗山聡 | 1974年6月15日 | 投手 | オリックス・ブルーウェーブ | 1997 – 2003 | オリックス・ブルーウェーブ | 2004 |
城之内邦雄 | 1940年2月3日 | 投手 | 読売ジャイアンツ | 1962 – 1971 | ロッテオリオンズ | 1974 |
伊良部秀輝 | 1969年5月5日 | 投手 | ロッテオリオンズ | 1988-2004 | ロングビーチ・アーマダ | 2009 |
西清孝 | 1966年4月8日 | 投手 | 南海ホークス | 1985-1993 | 横浜ベイスターズ | 1995-1997 |
田口竜二 | 1967年1月8日 | 投手 | 南海ホークス | 1985 – 1990 | 福岡ダイエーホークス | 1994 |
永田能隆 | 1973年1月18日 | 投手 | オリックス・ブルーウェーブ | 1998 – 1999 | 中日ドラゴンズ | 2001 |
有沢賢持 | 1950年7月27日 | 投手 | ヤクルトスワローズ | 1979 – 1981 | ヤクルトスワローズ | 1984 – 1985 |
野球は続けながらプロ野球に復帰
生年月日 | ポジション | 主な在籍球団名 | プロ在籍年 | 復帰後の球団 | 在籍年 | |
河原純一 | 1973年1月22日 | 投手 | 読売ジャイアンツ | 1995- 2007 | 中日ドラゴンズ | 2009 – 2011 |
1年間浪人生活 | ||||||
小宮山悟 | 1965年9月15日 | 投手 | ロッテオリオンズ | 1990 -2002 | 千葉ロッテマリーンズ | 2004 – 2009 |
途中野球解説者をしながらも鍛えていた | ||||||
小川健太郎 | 1934年1月12日 | 投手 | 東映フライヤーズ | 1954 – 1955 | 中日ドラゴンズ | 1964 – 1970 |
社会人野球のチームを転々とする。 | ||||||
代田建紀 | 1974年2月11日 | 外野手 | 近鉄バファローズ | 1998 -2002 | 千葉ロッテマリーンズ | 2003, 2005 – 2008 |
2004年は浪人生活 | ||||||
村上誠一 | 1970年5月31日 | 投手 | 福岡ダイエーホークス | 1989 – 1993 | 阪神タイガース | 1995 – 1999 |
1994年はダイエーの打撃投手をつとめ、1995年阪神にテスト入団で現役復帰 | ||||||
益山性旭 | 1954年8月26日 | 投手 | 阪神タイガース | 1977 – 1983 | 阪神タイガース | 1985 |
打撃投手に転進後、1985年に現役復帰 | ||||||
木田優夫 | 1968年9月12日 | 投手 | 読売ジャイアンツ | 1987- 2001 | ロサンゼルス・ドジャース | 2003 – 2012 |
巨人→オリックス→MLB→ヤクルト→日本ハム→(石川ミリオンスターズ) | ||||||
その他の現役復帰選手(不祥事など)
加藤俊夫:捕手。1970年ヤクルト在籍中に、無免許運転で逮捕→解雇
1972年東映にて現役復帰。以降1985年まで現役をつとめ引退
中山裕章:投手。1991年に不祥事で大洋を解雇。1994年、中日で現役復帰。
外国人助っ人
ロバート・ローズ:史上最強野手の助人として2000年まで横浜で活躍。引退後、2003年ロッテに現役復帰もキャンプ中に退団
まとめ
今回調べてプロ野球選手の現役復帰の条件の傾向がわかりました。ひょっとした新庄が投手だったら、復帰はあったかもしれませんよね。
一度、プロ野球選手を引退して、復帰した選手の特徴は・・・・
- 投手がほとんど
- 野球を地味ながらも続けている
- そして、何より「野球が大好きな、野球少年」ということなんでしょうね!!
新庄選手もピッチャーでチャレンジしていたら、まさかのプロ野球復帰!?
あり得たかもしれませんね(違うか!!)!!でも、一度引退しても野球の魅力に続けている姿は、大変勉強になりました。
しかし、新庄はインスタなどアップしては削除するような、野球のチャレンジとは違い「潔くない」行動をされているようですので、当ブログでは応援は辞めようと思っています!!
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
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